十二時の鐘が鳴る丁度一分前。
 グリフィンドール寮談話室窓枠の隙間をすり抜けて、皺だらけの花弁がジェームズの元にたどり着いた。

「あれ、思わぬ処から便りが来たよ」
「ラブメモだ。懐かしい」

 小さなメモをひらりと掲げて、ジェームズはにこりと笑った。

「思ったよりも楽しそうにやってるみたいだ」

 そこに書かれたメッセージを読んで、一同は顔を見合わせた。

「これ、誰から?」
「シリウスだよ」
「なんでシリウスと……。あの二人仲良かったかしら」
「さあねぇ。僕はそろそろ寝ようかな」

 大きなあくびをかますと、ジェームズはだるそうに立ち上がって男子寮に戻っていった。
 ピーターもその後について去って行く。


 ジェームズの置いていったメモを僕はぼうっと見ていた。
 まだ残っているメンバーはこの紙が告げている意味をまだ理解しきれていなかった。
 紙に綴られた文字は確実にシリウスのものだろう。そしてここに綴られた事もきっと事実だ。

 十二時の鐘が談話室に鳴り響く。


「大丈夫って事?」

 リオナが少し不安げにつぶやいた。

「ああ」

 はきっと大丈夫だ。

 メモは対でしか存在しないから、細工は不可能。
 たとえ"誰か"がシリウスから奪ったのだとしても、それもつまり、の側にシリウスが居るということなる。
 きっと彼なら、どれだけを毛嫌いしているといったって見捨てるわけが……。
 いや、毛嫌いしている人間なら、すっぱり切り捨てるのがあの男だ。
 しかし、シリウスは絶対にそうしない。
 僕はその瞬間、本能的に確信してた。

 だって、彼はを嫌っていないから。

 胸がざわつく。彼女を本当に思うなら安心するべきはずじゃないか。
 そう頭で思っても、胸の中をもやもやと広がるものを止められなかった。黒く渦巻く毒の霧が全身に回っていくようで吐き気がする。
 むしろシリウスと一緒に居るという事実より、ウィルと一緒だと知った方が数倍気分は良かったかもしれない。
 そんな事を思っている自分が嫌だ。にも、シリウスにも申し訳ない。

「リーマス、大丈夫?」

 声をかけられてはっと現実に引き戻された。
 談話室にはもう自分とエヴァンズだけしか残っていなかった。

「ごめん。大丈夫だよ」

 目頭を押さえて、僕はふうと息を吐いた。
 感情的になったらだめだ。もっと冷静にならないと。

、大丈夫かしら」
「シリウスが一緒なら大丈夫だよ」

 エヴァンズは僕の返事に不服そうな顔をしている。

「そうかしら。あの色魔が何もしていないといいけど」

 僕は彼女の言葉に思わず笑みを漏らす。
 ソファに腰を深くかけなおした。
 自分の身勝手さがおかしくてたまらなかった。
 さっきまでシリウスに嫉妬していたくせに、エヴァンズにシリウスの事を悪く言われてむっとしたなんて。

「確かにそうだね。でもまあ心配ないさ。彼の好みはどちらかといえば年増だから」

 僕が言うとエヴァンズは噴き出したあとに、咳き込んだふりをしてごまかした。

「笑ったらいけないわね」
「それはどちらに対して?」
「……あなたって結構いい性格してるわ」
「そりゃどうも」

 にやりと二人で笑いあうが、ふとエヴァンズはまた考え込むように表情を落とした。
 暖炉の火が揺れて彼女の表情まで揺れているように見える。

「ウィルは制約の穴を抜けたと思う?」
「……おそらく、そうだろうね」
「そうよね。急にあの二人が意気投合して夜遊びするとは考え難いし。今シリウスがなんとかしてを守っているんだとしても、きっとその前に何かあったに違いないわ」

 僕は頬杖をついて彼女の話を聞いた。

「注意すべきは明日からなのかも」

 無言で頷いた。
 ディックが付けた制約がどんなものだったのか、考えていた。
 自分ならどんなものにするだろうか。絶対にウィルがわからないようなもの、もしくは絶対に彼ができない事を選ぶ。
 こんな易々と穴を見つけられて、ディックは一体何をしているんだ。
 今はもう遠くの相手に、今日は苛ついてばかりだ。



「……正直ショックだったの」

 エヴァンズが暖炉の炎を見ながら、独りごとのようにつぶやいた。

「事件のこと?」
「私が今まで何も知らなかった事よ」

 ぱっと顔をあげてこっちを見たエヴァンズの顔は怒りすら含むように見えた。
 ちらりと見せた感情を抑えるようにまた視線を落として、暖炉の火を見ながら彼女は話す。

とは結構仲がいいと思っていたのに」

 その声は悲しみに揺らいでいた。一体彼女の中にはどれだけの感情が渦巻いているのだろうか。

「ディックがこの事を知らせたのは同部屋のあの二人と、僕だけみたいだ。は自分からは話したがらないだろう。あまり気にしない方がいいよ」
「どうしてあなただけに知らせたの?私だって監督生なのよ」
「君は――」

 君は女だから。と言いかけてやめた。彼女の事だからこんな事言ったら怒りだしそうだ。


「正直、ディックの采配は下手糞だったと思うよ。あの二人じゃなくて君に話していれば、少なくとも僕は今大きなたんこぶに悩まされないですんでいたかもね」
「それは……どうかしらね」
「あの二人はを心配するだけで何もできない」
「まあ!そこまで言う事無いわ。彼女達だって……」
「実際、を心配しながらも一緒に図書館にはいけないんだ。ウィルが怖いんだよ」
「そんな事ないわ。きっとディックの魔法があるから安心していたのよ」

 僕はふるふると頭を振った。彼女は何もわかってない。

「彼女たちは怖いのは物理的な干渉じゃない」
「じゃあなんでっていうの?」
「これは社会的な問題さ。魔法使いの家系図はマグル生まれの君たちが思っているよりずっと狭いんだ。シリウスやジェームズみたいな純血の家系は特にね。ブラック家みたいなのは極端な例だけど、どこの家も家族同士のしがらみってのはあるものだ。例えばリオナの家はグノー家には頭があがらないし、サリーの家は歴史的なつながりは薄いけれど、確かウィルの父親は魔法省勤めでその部下にサリーの父親が居る。みんながポッター家やウィーズリー家みたいに寛容ならいいんだけどそうもいかない。ディックはマグル生まれだからそんな事情全く知らなかったんだろう。それに制約の条件だって、こんなにあったり見抜かれて……」

 思わず口が止まらず、言わなくていいことまで言いそうになってしまう。慌てて口を閉ざした。

「まあ、つまり、僕がディックなら君を選ぶよ」

 エヴァンズは僕の話を口をへの字にして聞いていた。
 彼女を気遣ったつもりだったが、逆に気を悪くしたようだった。

「確かに、私にもそういう込み入った話はわからない。私がディックなら、同じようにしたかもしれないわ」
「まあ、今更そんな事話しても仕方ない事だったね」

 ややの間しんと静まって、二人の間には火が爆ぜる音だけが流れていた。
 マグル生まれにはわからないだろうと突き放したのが不服だっただろうか。
 頬杖をついたエヴァンズは拗ねた子供のように見えておかしかった。

「君と初めてまともに話をしたな」
「そうね」
「案外子供っぽくて我儘だ」
「わかった?あまりバレないんだけれどね」
「ジェームズがいつも語る君の魅力を少しわかったような気がしたよ」

 からかったつもりでふと笑うと、エヴァンズは思ったよりも素直な反応を返した。

「あの人にはすぐにバレたわ。どんなに繕っても彼には見破られてしまうのよ」

 静かな声で彼女はそう言う。
 虚空を見つめる彼女の瞳の中で、赤い炎が揺れていた。

「リーマス、あなたもそうでしょう?」

 エヴァンズはお返しとでも言うように不敵に微笑んで立ち上がった。

「今晩はお疲れさま。私ももう休むわ」


 繕う、か。
 そりゃあそうだ。自分の秘密を守る為、繕い事は散々やってきた。

 けれどどうしてだろう。彼女の言っていた事とそれは少し違うような気がした。








 グリフィンドール寮に様変わりした必要の部屋だったが、完璧な模写ではなかった。
 静まり返る部屋を見て立ちすくんでいた。
 当たり前だけれど、ここの女子寮には私以外の誰も居ないみたいだ。
 頭ではわかっていても、見覚えのある景色に、ここが本当の自分のグリフィンドール寮であると錯覚してしまう。

 人気の感じられないこの光景は、あたかもグリフィンドールから、更にはホグワーツから、私を残して皆消えてしまったかのように見えた。
 そう思うとぞっとして、部屋に居られなくて談話室に戻った。

 暖炉の前のソファにはまだシリウスが座っていた。その影を見て少しほっとする。

「……寝ないの?」

 シリウスはこちらをちらと見ると、また前を向いた。

「一応な」

 何気ない口調で彼は言う。
 眠らないで、見張っていてくれるつもりだったのだろうか。

「なら私も」
「お前は別に寝てもいいんだぞ」
「うん」

 目の前にいるシリウスは、本当に今まで私の知っていたシリウス・ブラックなんだろうか。
 頬杖をついてぼんやりしている彼の頭を見て、少し大胆にしてみたい気になってくる。

「隣、座ってもいい?」
「好きにしろよ」

 案外簡単に許すんだ。それがむしろ素っ気なくも感じる。

 三人がけのソファの端に腰を下ろす。
 どこまで近づいたら怒られるだろう。少し興味が沸くけれど、やっぱり怖いのでこれ以上は進めない。

「部屋、誰も居なかった」
「当たり前だろ」
「うん」
「怖くなった?」

 シリウスがからかうようにこっちを横目で見て笑った。
 いつも見せる下衆な笑みではなくて、もっと優しい笑顔だ。
 ここまでくるといっそ恐ろしいかもしれない。

 そこまで態度を変えるような出来事が一体どこにあったのか時間をさかのぼってみるけれど、思い当たらない。
 ……もしかして眠いんだろうか。


「ずっと思ってたんだけど」

 私はシリウスの横顔を見て話しかけた。

「シリウスって、私の弟に似てる」
「はぁ?」

 私の言葉に彼は目が覚めたらしく、いつもの不機嫌そうな顔になった。
 そんなに嫌なのか?

「お前の弟ってドワーフか?どこが似てんだ」
「ドワーフじゃないし……。弟は背高いよ。リーマスくらい」
「嘘つくなよ。お前が姉でどうしてそうなるんだよ」
「ほ、ほんとうだよ。うちの家族でこんなに小さいの私くらいだもん」
「じゃあお前拾われっ子か。本当はドワーフとピクシーの相の子で……」
「そんなに小さくない!ていうかそういう話じゃなくて」

 私が言いたいのは見た目じゃなくて性格の話だ。
 シリウスと弟の共通点はいくつかあった。

「そうやってすぐ人のことチビチビ言うところとか、口が悪いところとか」

 私が指折り数えながら言うと、シリウスはつまらなそうに視線を暖炉の火に戻した。

「素直じゃないとことか、本当は優しいくせにそれを隠そうとするところとか」

 最後のところは、今日初めてしったところだ。
 シリウスは私の言葉を鼻で笑った。

「お前ほんとおめでたいヤツだな。俺がお前なんかに優しくしてるとでも思ってんのか」
「……優しくされたよ」

 隣に座ることを許した彼は、今になって私を突き放そうとしている。

「さっきも言ったけど、これはお前の為じゃねーの。勘違いすんな馬鹿」
「そうかもしれないけど……」

 そこまで否定されたらさすがに少し悲しくもなるし申し訳なさも増すけれど、私は意地になって答えた。

「私は嬉しかったから」

 シリウスが何を思ってここに座っているのかはわからない。
 けど、ここに座っている事実だけでそれは有り難い事には変わらないのだ。
 私に心を読む力は無い。ならば、見えている事を信じるしかない。

 彼は私の言葉に呆れて言葉も出ないようだった。
 ややの間の後、シリウスはぶっきらぼうな声で言った。

「……弟はホグワーツに居んのか」
「ああ、いや。マグルの学校に通ってるよ」
「ふうん。仲いいのか」
「うーん。普通かな。まあ、でもいい方なのかも」
「ふうん。まあ、そんな感じするよ。愛されて育ってきた甘ったれって感じ」

 シリウスの言葉にぐうの音も出ない。
 確かに、私はきっと幸せな人間の部類に入るんだろうな。
 詳しくはしらないけれど、シリウスは実家とうまくいっていないとうわさで聞いたし。

「甘ったれだから私の事嫌いなの?」

 私はついに聞いてみたが、シリウスの返事はすぐには返ってこなかった。




「別に嫌いじゃない」





 ……本当に、今隣に居る人は誰なの?



 重そうな瞼をしているシリウスの綺麗な横顔を、私は呆けた顔で見つめた。


(2016/7/31)
  
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