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金曜の午後、私は羊皮紙の切れ端を握りしめて、魔法薬学の地下教室に立っていた。
魔法薬学のテストがいつも通り芳しくなかった私は、追試を受ける為に貴重な休み時間を削るはめになっていた。
一番乗りの私は適当に端の机の椅子をおろして座る。
苦手なものは追試ですらうまくいかない私だが、今回は秘密兵器がある。
私は机に、手の中にあったメモ書きを広げた。
そう、今日はレギュラスのカンペノートがあるのだ。これで今日の再試はばっちりのはずだ。
メモ書きの文字を目で追い、次第に私は眉根を寄せた。
「うわ。びっくりした」
ふいに声がかかって私は顔をあげた。
そこにはリーマスが立っていて、椅子に手をかけているところだった。
「ハルか」
「うわってひどいなぁ」
「誰か居ると思わなかったんだ。ここいい?」
「うん」
確かに自分の椅子しか下げていなかったから、私の姿は見えなかったのかもしれないな。
彼の顔を見て、この間リオナに言われた事を思い出した。
こうやって普通に話すのもなぜかおかしな事に感じてくる。
今までの事、全部偶然だったのだろうか。
あの夜談話室で出会ったのも、図書館で何度か会った事も、今こうやって向かい合って座っていることも。
この時間に誰の意思も無ければいいと、私は思う。
「リーマスが追試なんて、珍しいね」
「ああ、筆記はふつうだったんだけどね。作った薬の色が何故かピンクになっちゃって」
「あはは。私も再提出だよ。がんばろうね」
何気ない会話と自然に笑顔。
私とリーマスは友達だ。そこになんの違和感もない。
誰かが言うような、大それた感情も意思もここには無いはずだ。
今日の追試には、各寮2,3人の生徒が集まっていた。
私とリーマスは同じ机で二人、試薬を再調整することになった。
材料を集めたところで私は、再びレギュラスのメモと睨めっこを始めた。
”ボルカ式しびれ薬、獣傷の痛み止め、ウィンディの睡眠薬 など”
彼のくれたメモにはこれだけしか書いていなかった。
薬を煎じるコツとかポイントとか、そういうのを期待していたのだけど、全く難解なメモである。
これをどう生かせばいいというのだろう。
「何見てるの?」
「いや……」
素材を目の前に手を止めている私をいぶかしんでか、リーマスが私のメモを覗き込んだ。
「カンニング?」
「いやいや」
「ボルカ式しびれ薬……ああ」
「意味わかる?」
「しびれ薬ってこれでしょ。他はよく知らないけど」
リーマスは集めた素材たちを指して言うので、私は首を傾げた。
「今日作るのはサラマンダーの毒薬じゃないの?」
「そうだけど、確かポルカ式しびれ薬はサラマンダーの毒薬を応用して作るんだよ」
「へえー!そうなんだ!初めて知ったよ!」
「……で、それがどうしたの?」
そう、それ。
初耳だったから素直に感心してしまったけれど、それを知ったところで今日のテストにどう役立てろというんだ?
私は肩をがっくり落とした。なんでレギュラスはこんな情報をくれたんだろう。
これを当てに今日はやってきたのに、これからどうしよう。
教えてもらっている立場ではあるけれど、腹立たしさすらわいてくる。
役立たずのメモ書きを机の端に寄せて、私は仕方なく自力で薬を作ることにした。
「……ああ、でもいい事に気づかせてもらったよ」
リーマスが緑色のキノコを刻みながら、小さな声で言った。
「いいこと?こんなの知ったってどうしようもないよ」
子供みたいに拗ねた事を言う私に、リーマスはふふと微笑んだ。
「昔、実験的にマグルに材料を渡して魔法薬を作らせた魔法使いが居たらしいよ。そのマグルは薬を作れたと思う?」
急に何の話だろう。
私は想像してみた。材料さえ集まればあとは切ったり煮たりするだけで、ほとんどマグルでもできる手順だ。
同じように、魔法薬が出来上がる――と考えもしたが、そんな事わざわざ話題にするだろうか。
おそらく結果はその逆。
「……作れなかった?」
「正解。そう、マグルは僕たちが作るのとは全く違う、ただの苦い汁を作ったそうだよ」
私たちがやっていることはただ煮たり切ったりしてるだけじゃないのかもしれない。
「魔法薬を作るには魔法使いが作るってとこがポイントなんだね」
「この追試を乗り越える為の第一関門突破だよ。やったね」
そもそもマグルならこんな授業受けてすらもいないけれど。
「そこから考えられる事がもう一つあってね、魔法薬の成功には、作った魔法使いの魔力が関係してるってことだ」
「確かに…そうだね」
それが本当なら、魔法のへたくそな私は絶望的だな。
「魔法ってなんだと思う?」
「え?」
魔法って……?
漠然としすぎた質問に何も考えが浮かばなかった。確かに魔法ってなんだろう?私たちが普段何気なく使っているこの力はどこからきているものなのだろうか。
「魔法は魔法使いの気持ちに由来するんじゃないか」
リーマスはとんとんとナイフで刻みながら、静かに語る。
「小さいころ我儘に乱雑に魔法を扱っていた僕らは、杖と呪文という制御装置を使って力をコントロールするようになった。大切な人を傷つけないようにね。魔法薬もきっと杖や呪文と同じなんだろうな。意思を持たない呪文に効果が無いように、魔法薬も意思を持って作れば能力を持つんだよ」
リーマスの静かな声がすんなりと体を通って、おなかの底にすっと落ちた。
レギュラスの綺麗な筆記体を見て、やっと彼の込めた意味を見出すことができた。
私は、いろいろと怯えすぎていたのかもしれない。
「このメモ、レギュラスがくれたの?」
突然ころりと話題が変わったので驚いて体が飛び跳ねた。
しかもまったくの正解だ。何故知ってるんだろう。
「ど、どうして?」
なんとなく、レギュラスの話は仕掛け人たちにはしてはいけないような気がしていた。
レギュラスはシリウスの事毛嫌いしていたし、当然シリウスもそうなんじゃないかと勝手に思っている。
「やっぱり兄弟だね。字がシリウスにそっくりだ。初めはシリウスかと思ったけどあれがハルにメモ渡すなんてそんな事ありえないと思って」
リーマスは面白いものでも見たかのように笑った。
勝手に彼の名は禁句だと思っていたけれど、勘違いだったのかもしれない。
ほっとして肩から力が抜けた。
「ハルが新入生に紛れていたとき、レギュラスがちょっかいかけにきてただろう。それで知り合いだってのは知ってたよ」
そ、そういえばそんなこともあったな。こっちは今まですっかり忘れていたよ。
「レギュラスには、魔法薬学の勉強教えてもらってるの」
「そうなんだ。とてもいい先生みたいだね」
リーマスが言うので、私はうれしくなった。
「うん」
そう。レギュラスはとってもいい先生だ。
リーマスは監督生をしているくらい優秀なのに、再提出になるなんて不思議だと思っていたけれど、彼の手元を見て納得した。
彼って結構大雑把なのだ。
その変わり作るスピードは誰よりも早くて、私の倍くらいの速さで作ってさっさと部屋を出て行ってしまった。
私もリーマスを追って、少なくとも見た目上はまともそうな毒液を作って提出した。
優秀な先生レギュラスの苦労に報いただろうか。
地下室から出ると、外の空気は身を切るような冷たさだった。
地下室は底冷えしていると思っていたけれど、鍋の火で少しは暖かかったみたいだ。
日はとっくに暮れて廊下はゆらゆらと揺れる炎が灯っていた。
まだ夕食前のはずだけれど、あたりはしんと静まり返っている。寒さに皆部屋にひっこんだらしい。
「ハル」
ふいに名前を呼ばれて、私は体が飛び上がった。
「はは。そんなに驚かなくてもいいじゃないか」
「リ、リーマスか。びっくりした……」
マフラーを指で少し下げながら、リーマスが笑っている。
なんでまだこんなところに居るんだろう。結構前に提出して地下室を出て行ったのに。
「もしかして待っていてくれたの?」
私はきょとんとして聞くと、リーマスはまた顔をマフラーにうずめると、少し間をあけてから小さくうなずいた。
そ、そうなんだ。
私は何故だか気恥ずかしくなって、彼から目をそらして歩き出した。
薄暗くてよくわからないけれど、リーマスがまた顔を赤くしている気がしてならなかった。
(……いや、私の自惚れだろう)
「うまく出来た?」
「あ、うん。見た目はそれなり」
「そっか。僕も多分大丈夫だよ」
「レギュラスのおかげだ」
まだ手に握っているメモを見ながら、私はリーマスの方をちらりと見た。
彼もまた笑っている。少なくとも、リーマスはレギュラスを嫌ってはいなそうだ。その事がひどくうれしくて頬が緩んだ。
「僕も教えてもらおうかな」
「えっ」
「なんてね」
「あ、す、すごくいいと思う!」
日ごろから友達のいなさそうなレギュラスを心配していた。
もしかしたら、それをきっかけにレギュラスの交友関係が広がるかもしれないし、あわよくばシリウスとの関係も回復するかもしれない。
リーマスはとても優しくて面白い人だし、レギュラスだって気に入るはずだ。
「いやいや冗談だよ。気にしないで」
「遠慮しなくって大丈夫だよ!二人きりでやっててもレギュラス退屈そうだし、それに教えるのすごく上手なんだよ!」
「……そう?ならレギュラスがいいって言ったらお願いしようかな」
「うん、明日、絶対聞いておくね。それで――」
嬉々として話をしている途中、私は言葉を失った。
話をしていたリーマスは突然血相を変えて私にとびかかってきたのだ。
きつく抱きしめられた腕の中は暗闇だった。
一体何が起こったのだろう。
何かがぶつかる鈍い音が聞こえて、私はリーマスと共に床に倒れこんだ。
(2016/5/31)
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(追試中にしゃべりすぎな二人)