まただ。

天井に上った半月を見て慌てて本を閉じた。
読みかけの本を抱えて図書室から駆けだす。

どうも今までの感覚が染みついているみたいでいけない。
もうどれだけ遅れて寮に戻ったってあの人は居ないのに。
何ヶ月も見ていない彼の事を思い出して胸が少し痛くなった。
こうやって消灯時間に遅れる度に思い出す。辛いのは自分なのに、どうしていつまでもあの人の影を追ってしまうんだろうか。

常習犯の私を太ったレディは何も言わずに通してくれた。
談話室は真っ暗だった。
みんなもう寮に戻っているようだ。物音を立てないようにゆっくりゆっくり移動する。
闇に少し目が慣れて来たとき、月明かりにぼやっと誰かのシルエットが見えた。
やっぱり監督生がいたのかな。また減点か……。
その人影は窓際に立って空を見上げている。上手くいけば気づかれずにこっそり戻ることできるかも。
そう思った時、その人影が見覚えのあるものだという事に気づいてふと足を止めた。

半月の薄明かりにルーピンの青白い顔が照らされていた。
いつか見たことがあるような、どこか寂しげな表情が浮かんでいる。
私には気づいてないんだろうか。このまま行ってしまえば減点はないかな。
そう思ったけど、どうしてか、そのルーピンの表情が気になってしまって私は窓際にゆっくり歩み寄った。
ルーピンは半月をじっと睨むように見上げている。

「ルーピン?」

声をかけるとルーピンは跳ねるように飛び退いて、杖を私に向けてきた。
思わぬ反応に、私はたじろいで思わず持っていた本を取り落としてしまった。
ルーピンはギラギラと光る目で私を睨んでいる。

「……か」

私だという事に気づくとルーピンの眼光は失せて杖を降ろした。
私は睨まれた事ですっかり体が萎縮してしまって、声も出ない。

「ごめん。大丈夫?」
「……あ、うん」

ルーピンは屈んで私の本を拾ってくれた。
無言で差し出されて、私は慌ててその本を受け取った。

「こっちこそ、ごめんね。驚かせるつもりじゃなかったんだけど…」
「いや。ぼーっとしてたからいけないんだ」

窓から空をちゃんと見ていると、半月がくっきりと夜空に浮かんでとても綺麗だ。

「月が好きなの?」

私が微笑みながらそう聞くと、ルーピンはしかめっ面をして言った。

「いや、嫌いだよ」
「? じゃあなんで見ていたの?」

ルーピンはその答えを口ごもっていたが、次ににやっと笑って

「僕は狼だから」

と答えた。

「狼?」
「リーマス」

その時、ふいに二人以外の声がきこえてびくりとした。
声がした方を見上げると、男子寮の階段から誰かが見下ろしている。

「シリウス? どうしたの?」
「ちょっと来てくれよ」
「わかった。じゃあ、おやすみ、Ms
「…あ、お、おやすみ」

ルーピンはさっさと寮の階段を上がっていってしまった。
私がその姿をじっと見ていると、二人が自分の部屋に戻っていく瞬間、ブラックが私をひと睨みしたように見えた。
私はそれに弾かれたようにくるりと踵を回して女子寮の階段を上っていった。

女子寮の階段を上りながら私は思った。
ルーピンの言う狼ってのは、“月と狼”の話だったのだろうか。

寮に戻るとまたあの本を開いた。もう読まなくてもどのページにどんな話が書かれているのかわかってしまう。
最後の挿絵でふと手が止まった。

狼が湖の水面に映った月をじっと見つめている。

もし、少女が月の暗喩だとしたら。
狼は月に恋をして今でも遠吠えをしているんだろうか。
もしかしたら狼は本当に湖に落ちてしまったのかもしれない。水面の月を追って……。








――少女は月そのものなのかもしれない。

後からそう思った。そう思ったらそれ以外しっくりくるものが無いように思えた。





昼休み、いつものように中庭の湖畔でくつろいでいた。
湖に足を浸している女子の中に彼女は今日も居ない。

「何を熱心に見て居るんだい?」

いつの間にかジェームズの顔が隣に来ていて驚いた。
ジェームズは気難しい顔をして僕を見た。ジェームズはとても勘がいいから、内心ドキドキしていた。

「まさか、君リリーに恋してるなんてことは……」

ドキドキして損をした。大きな安堵の息を吐く。

「リリーは確かにとても魅力的だ。それは揺るぎない事実だ。ムーニーは素敵な目をしている。だけどね、僕は――」
「プロングズ、安心してよ。僕にその気はないから」
「え?そうなの?」

ジェームズはこういう事に関しては疎いらしいな。
僕は本に目を戻した。
ジェームズは僕がエヴァンズに気がないと解って安心したのか上機嫌でエヴァンズをナンパしに行った。
彼が居なくなった所に、今度はシリウスが座った。

「本当はだろ?」

突然の一言に心臓が飛び出そうになった。でも、そんな事は顔に出さず、僕は落ち着いた態度でシリウスに聞き返した。

「何が?」
「見てたのは」
「見てたって、彼女はここに居ないじゃないか」

シリウスは何か不服そうな顔をした。

「あんなトロで暗いヤツやめとけよ」
「僕だって暗い部類に入ると思うけど?」
「お前は暗くないだろ」
「一年の時、暗くて嫌なヤツって罵ったのは何処の誰だっけ?」
「そ、そんなの出会ってすぐの話だろ?お前の事情も知らなかったし…」
「仲良くなってみたらそうでもなかった?」

僕はシリウスに不敵に笑いかけた。

「Msもそうかもよ。彼女はああ見えて自分の意見をしっかり持ってる」








その次の授業の事だった。

「現在、“ヒトたる存在”はこのように定義づけられています。しかし、充分な知性を持ち合わせているのにもかかわらず、ケンタウルスや水中人はこの地位を辞退しています。自分ならこう定義するっていうのを、聞いてみましょうか。では、Mrマーコレー、どうですか?」

先生はランダムに聞いていき、生徒達は思い思いの答えを出していた。

「Ms
「…っはぇい!」

“は”と“へ”の中間みたいな声で返事が聞こえると、小さなからだがすっくと立ち上がった。
の周りの女子達が、彼女の上がりっぷりに笑いをこらえているのが解った。

「あなたはどう思いますか?」
「ええっと……」

後ろからだがの耳が真っ赤になっているのが見える。
今まであまり彼女の事を気にして見たことはなかったが、そういえばいつもこうやってしどろもどろしていたような気がする。

「あの…」

今まで和やかだった教室の空気がしんと静まりかえって、皆の視線がに注がれている。
そのせいか彼女の声は喋るたびに小さくなっていくようだ。

「……じ、です」
「Ms?すみません、もう一度」
「お、同じです!」

はそれだけ言うとすとんと自分の席に戻った。
先生は何と同じなのかという質問はせずに次の人物を指名していた。
視線を感じてシリウスの方を見ると、したり顔を浮かべてこっちを見ていた。僕は苦い笑顔を浮かべて黒板に視線を戻した。

それから暫くの耳は真っ赤なままで、教室を出る時に見た彼女は少し落ち込んでいるようにも見えた。

(2010/10/17)
  
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