01 少女の記憶




弱い肌を日光からまもるための厚いローブをフードまでしっかり被る。
伸びっぱなしの長い髪は2つに丸めて邪魔にならないようにした。
ローブではこの時期暑いから、その下はできるだけ涼しくて動きやすいように。
腰に護身用の短剣をいくつかぶらさげる。これが意外と重かったりする。
レザーサンダルの紐をしっかり結ぶと少女は立ち上がった。

「では行って参ります」
「よい旅になりますよう、イザルオミレナール様」
「行ってらっしゃいませ」

少女の従者達が次々と頭を下げる。
その顔はどれも憂慮の面持ちだ。
しかし少女だけは覚悟を決めたような、凛とした顔だった。

その様子を少女の隣で見ていた黒ヒョウはふと疑問に思った。
さっさとその場を離れようとした少女を呼び止める。

「ちょっと待て。護衛は私だけか?」

この少女はこの一家にとって心臓とも言える重要な存在のはずだし、少し落ち着いてきたとはいえまだ戦争まっただ中をこの少女は旅をするわけだ。
なのに何故、眼前に並ぶこいつらはお供に自分一匹で旅をさせようというのか。
黒ヒョウの問いに少女は眉根を寄せ、従者達もそろって顔を見合わせた。
その中で一人、背の高い男が一歩前に出て無表情で言った。

「スーザリアロギト様がお決めになったことだ」
「しかし…」
「ゾゾ。いいよ」

反論しようとするヒョウを少女が制した。
その声は全てを承知している声だった。

「私のことを快く思わない人も居るって事だよ」

少女は再び従者達に背を向けてためらうヒョウを促した。

「…それに、いざとなったら自分で自分を護るから」

腰にぶらさがった短剣の装飾をなぞりながら少女は言う。
その目はしっかりと前を見据えていた。
















俺には、誰にも話したことがない秘密がある。
今ではもう自分でも忘れてしまった記憶だった。


どれくらい前の事かも覚えていない。




孤児院のそばを流れる川をさかのぼっていくと、広葉樹が生い茂る“入らずの森”と呼ばれている森がある。
日照時間が長いこの土地でも、森の中だけはいつでも薄暗く不気味な雰囲気をかもしだしていた。
当時好奇心旺盛で、町中を走りまわったわんぱく少年の地図は“入らずの森”を除いて完成を果たした。
残る“入らずの森”を地図に書き加えようと少年は誰にも告げず森に一人で足を踏み入れた。

“入らずの森”という名のゆえんは、入れば迷って一生戻ってこられないだの、森の主に食べられてしまうだの、
迷信めいた話がいくつかあるがどの話にも共通することは、入れば帰って来れなくなる。という事だ。
しかし少年の知る限り、実際そんな事件が起こったという話は聞いたことがない。
…“入らずの森”に行った事のある奴も知らなかったが。

当時少年の住むサバトは、隣国のフォーティアという魔族の国と戦争が始まったばかりだった。
もしその森の主が魔族だとしても、少年はそいつに負ける事は露ほど考えていなかった。
人間の兵士が魔族を倒してサバトに帰ってきている。自分にも倒せるんじゃないかと過信していた。
その兵士も、あまたの兵のうちのたったひとにぎりだという事も知らずに。

まるで無謀な冒険。
案の定少年はうっそうと茂る森の中で足を止めた。
太陽がどこにあるのかもわからない。大きな木が化け物にも見えた。突然鳥が飛び立つ度に心臓が飛び出すほど怯えた。
不気味な森の中、少年は木の根に腰をかけ膝をぬらしていた。
院から無断で持ち出した木刀も地面に転がっている。
もう自分は死ぬんだと思った。誰にも知られず、大好きな院長先生に別れも言うことなく死ぬのだと。

「どうしたの?」

突然声がして少年は驚いて立ち上がった。
全く気が付かなかった。いつの間にか自分の背後に一人の少女が立っていたのだ。
暗い森でも栄えるほどの白い肌と不思議な色の目を持った少女だった。
けれど、その時の少年にはその時そんな事はどうでもよかった。
一人じゃないとわかっただけで、今までの不安が全て足の下に溶けて流れていくようだった。
少女はこんな不気味な森の中で無邪気な笑顔を見せる。
緊張感と不安から一気に解き放たれて、幼い少年はわっと泣き出した。
少しとまどう少女だったが、泣きじゃくる年下の男の子の頭をそっと撫でて抱きしめた。

「泣いちゃだめだよ。さあ歩いて。もう日が暮れるよ」

少女と少年はゆっくりと、しっかりと手をつないで森を歩いた。
少女に導かれるまま、少年は森の中を歩く。
あんなに不気味だった森が、2人で歩いているというだけで少し明るく感じた。

薄汚れた服からのぞく少女の細くて白い腕にひかれて、少年は森の出口までやってきた。
木々の間から斜陽が伸びて小さなスポットライトが無数にできている。
見慣れた景色を見て少年は走り出す。
森の入り口から見える、小さな孤児院の赤い屋根を見て少年は顔をほころばせた。

あの子は一緒に孤児院まできてくれるだろうか。
少年は満面の笑みで少女を振り返った。

そして少年の笑みはそこにあった景色に消え去った。
そこにあったのはじめじめした、不気味な“入らずの森”だけだった。



今思えば、彼女は魔族だったのかもしれないと思う。

小さい頃は魔族は本とかに出てくる悪魔みたいな、動物を色々くっつけた不気味な格好をしているんだと思っていた。
魔族の知識なんてこれっぽちもなかったのだ。
人型の魔族も居る事を知るのはその少し後で、それまではずっと自分は妖精かなにかに手を引かれたのだと思っていた。


けど、この話は誰にもしたことがない。
最初は、森で迷ったなんて恥ずかしくて言えなかった。
でも魔族かもしれないと解ったときからは、
魔族を見たなんて言えば大人は驚いて森を焼き払ってしまうかもしれない。その子をとっつかまえて焼き殺してしまうかもしれない。
という思いから少年は口を固く閉ざした。









“魔族が動くのは主の命令と自分に利益があるときのみ。決して自分のためにならないことは行わない”



書物に書かれた記述を頬杖ついてながめていると、遠い昔のおぼろな記憶を思い出した。
じゃあ、自分が見たあの少女は何だったのだろう。今まで魔族かと思っていたけど、もしかしたら違うのかも。
でもサバトで見かけたこともない顔だった。サバトの人間じゃなのは確かだ。

そんな考えも講師の言葉でふっと消えた。
ただの不思議な思い出。
自分にとってはそれだけだった。

「…これで全て講演を終了とする。新兵の皆さんの活躍を期待しています」

講師はぶっきらぼうに言うと教壇から下りた。
生徒は立ち上がり部屋から出て行く講師に一礼し、講師の姿が見えなくなるとぺちゃくちゃ話ながらぞろぞろと退室していく。
隣に座っていた友人のクランも荷物をまとめると、早く帰ろうとエリオを促した。


外の空気は春のにおいが充満していて、やわらかい光がのどかな気分にさせてくれる。
こんなにのどかなのに、なんでだろう。不思議な気持ちだ。
自分の心には不安や恐怖が芽生えはじめている。

外はいつも以上にさわがしい。
もうすぐ年に一度の感謝祭が行われるから、みんな準備や計画にざわついているのだろう。
久しぶりに家族と一緒に過ごせる。自分もそれは嬉しい。
けど、その感謝祭が終わってしまえば、自分は…

「やっと兵士になれるな」

クランが白藍の空を見上げて言った。
クランも、感謝祭ではなくその先の事を考えていたらしい。
しかし、隣国へと続く空を見つめるクランの碧眼に、自分のような不安や恐怖は見つけられない。

「怖くないのか」
「大切な人は絶対に守ると、昔誓ったんだ」

揺るぎないクランの横顔を見つめてエリオは少し悲しい気持ちになった。
この気持ちの出所はわかっている。
2年前国境近辺に住んでいたクランは魔族に襲われ一夜にして幼い弟妹と共に孤児になった。
それからクランは悲劇を繰り替えさんとしているのか報復のためなのかはわからないが、兵士になって戦うことを人一倍心待ちにしていた。

しかしエリオは城下に住む、護られた環境にずっと居た少年だ。
町から出たことはなく、あの子を除けば当然魔族を見たこともなかったし魔族になんの恨みもない。むしろあの森から救出してくれた魔族かもしれない子に感謝すらしている。
家族を護るにも、家族は物心つくまえにみんな流行病で死んでいるし、
育った孤児院を守ると言っても、まだ戦線は国境付近であるから城下の孤児院が侵される危険もまだ感じない。
戦う理由がエリオに見つからず、一通り訓練生としての課程も終わったというのに、まだ心は迷うばかりだった。


長い金髪をひとくくりにしたクランの髪が、春の日差しを浴びてキラキラ光る。
男にしては白い肌に長いまつげ。兵にはもったいない容姿をクランはしている。
なんでこんな奴がこんな辛い運命を背負わなければならないのだろう。
そんなクランをエリオは眩しそうにみつめた。

「早く帰ろう。みんな待ってるだろう」
「ああ」


2009/5/6(解りづらかったらすみません)
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