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■秋紅葉 もう、肌寒くなってきた。 見上げる蒼穹は果てしなく高く、薄い蒼を宿している。 眼窩へ広がる山々は紅く朱を佩き、無色の世界を受け入れる準備に燃えていた。 「ねえ、狂」 明るい金髪を晴天の守護者に照らされながら、村正は傍らで煙管を吹かす男──狂に声をかけた。 狂は無言で、目線だけを向けてくる。 「もうこんな季節になってしまいましたね」 何を今更。 彼が何かを語ることなど無いが、それでも村正の心の中には、彼の呟きが滑り込んでくる。 そして、それが年寄りの世迷言に過ぎないということも、狂ははっきりと知っていた。 「一体、何回目の秋なのでしょうか」 再び返ってくる沈黙。 「これから来る冬も、その次に来る春も、ついさっき通り過ぎてしまった夏も── 私は、一体何回迎えたのでしょうね」 季節は余りにも呆気無く過ぎ、仲間の許を去ってから出会った人々をも連れ去ってしまった。 「私一人が、ただ生きている。仲間を裏切り、王に背を向け、狂を連れてきた── そんな私より、彼らのほうが罪深かったとでも言うのでしょうかね」 馬鹿馬鹿しい。 「分かっていますよ」 村正は、胸中で吐き捨てながらもその実自分を気遣っている狂を、愛しげな表情で見据える。 「あなたと一緒に過ごすことができた日々は、決して無駄ではありません」 その眼差しは幾億の命を見守る慈父のようで、僅かに──出来の悪い弟子を窘める苦笑が混じっていた。 「狂は、私の希望なんです」 「煩せえ」 ようやく言葉を発したかと思えば、不機嫌そうな声。 村正は苦笑を濃くして、 「私の希望ですが、でも、やっぱり狂は狂なんです。 ですから私は狂に、“私”を押し付けてしまったのではないかと──そう思っているんです」 そう続けた。 昔──彼は狂を、唯一己の希望と定めた。 しかしそれは、一方で“狂”の行くべき道を一つに絞ってしまうことですらあった。 「今更ですよね、本当に。本当に今更です」 澄んだ大気を貫いて、太陽の光が燃え立つ木々を照らし出す。 或いはそれは炎の明るさに比例し、森の端々に深い陰影すら刻んでいた。 ふと細めた村正の目に、場違いな煙が入る。 中心に穴が開いた、およそこの場にそぐうとは思えない煙管の煙だ。 それが、少しずつ形を崩し、周囲の風景に溶け込みながら立ち上る。 「テメエについてくって決めたのは、このオレ様なんだよ」 酷くぶっきらぼうな声。さっき聞いた声と少しも変わっていない。 でも── 「だからテメエにとやかく言われる筋合いはねえ」 気遣うような響きは何一つ無いけれど── 「テメエもテメエの遣りてえようにやっただけだ。その結果何が起きたって、しっかり胸張って立ってろ」 不器用な、励ましとも悪罵ともつかない言葉の裏には── 「クソジジイ」 仄かな、柔らかい光が灯っている── 村正は明るく微笑んだ。 「願わくは、あなたの運命に幸多からんことを」 例え彼を守ることはできなくとも、永久に目を逸らすまい。 それが、己の選んだ道ならば。 「──クソジジイが」 ■ 先も後も見えない闇の中から、意識は唐突に浮上した。 燃ゆる炎が宿る眼を開けば、そこに映るのは濃い墨色の空だ。 歪な形をした月が浮かび、それを取り囲んで幾千もの星が享楽の宴に遊んでいる。 どうやら夢を見ていたらしい。 意味の無い、取留めも無い夢を。 狂は徐に身を起こし、立ち上がった。彼が向かう先には、遮るものなど何一つ無い、せり出した崖がある。 「──それが己の選んだ道ならば、だ?」 眼窩へ広がるは、夜に身を委ねた真紅の木々だった。 Made by 白対黒 |